犬と猫のブログ

我が家の犬・猫の紹介

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「プン」です。よろしく。

子供時代のわたし 先輩たちが、みんな亡くなってしまった今、わたしが、「おかあさん」の家の最古参になってしまい、「プロフィール」にも、出してもらいましたので、トップバッターで、自己紹介させてもらいます。
 とはいうものの、人間さま流の年の数え方をしたとしても、やっと30代に入ったばかりのいい女です。
 わたしは、4年前の7月の終わり頃、前の飼い主に捨てられていたのだそうです。まだ、乳離れもしていない幼い頃のことで、そのころのことは、全く記憶にありません。亡くなった母親「フォイ」と一緒だったそうです。
チャムトーン時代のわたし
 その頃のことを、「おかあさん」がいうのには、母親「フォイ」は、もとの家にしきりと帰りたがっていたようすだったそうですが、乳飲み子を抱えて、それはかなわないと知って、今のお母さんのところで我慢することにしたのだそうです。 
今の「おかあさん」が、母親には「フォイ(ฝ้อย)」、わたしには「プン(ผึ้ง)」と名前をつけてくれたのだそうです。いつもは、「イ・フォイ」とか「イ・プン」と呼ばれていました。
亡くなった母親・フォイ 「フォイ」というのは、北タイの言葉ですが、「ぼろきれ」というような意味の愛称(?)らしいです。母親の毛の色や模様が、「ぼろきれ」を連想させたのだと思います。
 「おかあさん」にお世話になるようになってから生まれた、すぐ下の妹も、母親と同じような外見ですが、立ち居振る舞いだけでなく、外見もどことなく品があるからと、「貴族のご夫人」という意味の「ヌン・ニン」という名前をもらっていました。母親とは、ずいぶん格のちがう名前でした。
妹のヌン・ニン わたしの名前の「プン」は、「ミツバチ」という意味ですが、毛色がなんとなんとなく「はちみつ色」だかららしいです。このあたりでは、チャ系統の「トラ」のメスに、よくつけられる名前のようで、ごくふつうの名前らしいです。

 母親は、今までの呼ばれ方とはちがう名前で呼ばれているのは、すぐに理解し、自分の名前をおぼえたそうです。子育ても上手で、ときには、孫の面倒までみていたようです。


 写真は、上から、「捨てられたばかりの頃のわたし」、「チャムトーン時代のわたし」、「ありし日の母親・フォイ」、「妹・ヌン・ニン」

 一方、わたしは、子猫のときから活発で、「男まさり」だったために、「プリオウ(酸っぱい)」な猫などといわれたこともありました。自慢ではありませんが、小さい時から、いつも元気だったので、「集団風邪」でみんなが苦しんだときも、軽くて済んでしまい、今までにお医者さんに見てもらったことは一度もありません。

 母親の「フォイ」は「多産系」で、亡くなるまでに「ひ孫」まで出来ましたが、わたしは「不妊症」らしく、一度も妊娠したことがありません。そんなわけで、ざんねんですが、わたしには子供がありません。その代わり、「おかあさん」の家に越してくるまで、「チャムトーン」では、「用心棒」役をつとめ、どこかの犬が侵入してきたり、よそのオス猫がやってきたりすると、勇気をふりしぼって追いはらったりしていました。母親や兄弟姉妹たち、甥・姪たちを守るためなら、怖いもの知らずです。

 チャムトーンでは、姪の「イ・ノイ」が大きくなってからは、彼女と一緒にいることが多かったのですが、彼女はあちこち出歩くのが好きで、行方不明になっては、と心配した「おかあさん」が、今の家の方に引っ越させることを決断し、今年になってからいっしょに越してきました。

 越してきたときには、家には「シン」というオスの「ボス」猫がいたため、わたしの出番はなくなってしまいましたが、「シン」も9月に亡くなって、まだ若い(?)のに、最長老ということになってしまいました。
 前のように、また、頑張らないといけないのかも知れませが、チャムトーンとはちがって、ここには、犬やよその猫はやってきませんので、気は楽です。

 ただ部屋の中だけの生活というのでは、飽きてしまいますが、「おかあさん」の発案で、ベランダに柵をこしらえて、日光浴や、少しなら運動も出来るようになったので助かります。
 ただ、わたしは、一人っ子で育てられたせいもあるのでしょうが、誰とでも遊ぶなどということは好きではありません。人間と一緒にいるほうが、気が休まります。たまに、「イ・ノイ」と遊ぶくらいのもので、最近は、ちょっと太りすぎかなと思ったりしていて、少し運動不足かもしれませんが、時々ひとりで、15mダッシュを何回かやってます。
 何も「芸」など特技はありませんが、母親の分まで、長生きしたいと思っております。

プンの近影

 これからも、どうぞよろしく。



 「おとうさん」の感想など

 もとの飼い主、何らかの事情があって飼えなくなったのだろうが、「フォイ」は、チャムトーンに来てから、「ひよこ」狩りが得意で、捨てられた理由もそのせいだったのかも知れない。
 その頃、チャムトーンには何匹も猫がいたため、5匹飼うのも、10匹飼うのも同じと思って、おいていったのだろうが、はた迷惑なことである。

 猫の不妊症(マンという)があるなんて、「プン」のケースではじめて知った。不妊症のせいか、「プン」は、このあたりの猫としてはめずらしい短胴型で、若いときから太り気味の猫である。

 きかん気で、非常に頑固なところがあるとはいうものの、人間嫌いではない。
 食事は、いつも、2,3m離れたところでじっと待っていて、先を争うことなどまったくないため、最後になることが多い。食べるのも、奥ゆかしさが感じられるほど、ゆっくりである。貴婦人然としているところが、とても魅力的である。
 また、今でも、メス猫に色目を使うオス(避妊済みなのに)は、大嫌いで、弟にあたる「ペット」には、絶えずにらみをきかせていて、ときには「お仕置き」をすることもある。
 そんな時、かみさんに叱られるのは、いつもきまって「プン」で、少々気の毒な気もする。

 子猫のときから、娘のケイがかわいがってきたため、ほんとうは、娘に甘えたいらしいのだが、このところ、娘の関心は、人間の男に変わってしまい、邪険にされたりしてすねることもある。


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追悼にかえて

 このブログで、皆様に、自己紹介をご披露するのも間に合わず、私の一番下の妹で、もっとも新しい仲間だった「イ・トイ」が、3月14日に、亡くなってしまいました。
 まだ、2才半になったばかりで、人間でいえば20代の半ばを過ぎたばかりでした。
 「おとうさん」に、「イ・トイ」の追悼をこめて、思い出など紹介してもらうことにしました。
 
 
「イ・トイ」は、2004年の8月か9月頃に、「フォイ」の最後の子として、チャムトーンで生まれた。そのころ、パソコンの故障中で、過去の日記に残されていないため、正確な生年月日は覚えていない。
「フォイ」は、「プン」の自己紹介の中にもあるように、その子「プン」と一緒に、チャムトーンの養魚池の小屋に置き去りにされているのを見つけたのが最初の出会いである。当時は、今のように柵や門もなく、いつでもだれでも出入りできた。2002年の夏のことである。
「イ・トイ」は、「イ・ティン」とともに、「フォイ」の最後の子供で、「プン」にとっては、末の妹に当たる。 

 日ごろ自由気ままに生活しているチャムトーンの猫たちは、われわれにさえ抱かれるのは好まない猫がほとんどである。人間が恋しく、人間に育てられるのは仕方ないことだとわりきっているのだが、不即不離というか、近づいてきて甘えたりはすることはあっても、抱き上げられるのは嫌いのようである。


       (2004年12月8日撮影)
 「イ・トイ」もそんなふつうの猫としてチャムトーンで成長した。
 こんな写真を見ていると、意気地のないことに、泣けてきてしまいます。

同腹の姉妹・「イ・トイ(左)」と「イ・ティン(右)」(2005年11月撮影)

 「イ・ティン」が、昨年(2006年)、3月の初め頃に、初めての子猫を産んだ。
 初めての母猫というのは、経験がないため、なにかと失敗ばかりで、6匹のうち2匹は、生後間もなく死んでしまった。
 同じ頃、「イ・トイ」も、初めての出産をしたようすだったが、われわれは「イ・トイ」の子猫を見ることはできなかった。どこで産んだのかもわからなかった。
 自分の産んだ子猫を、呼び寄せようとするのか、悲しそうに泣きながらあちこちうろうろする「イ・トイ」の姿が、今も目にやきついてはなれない。こんなときの母猫は、見て入られないほど切ないものである。半狂乱といっても言い過ぎではない。全部死産だったのか、それとも、何らかの理由で、子猫をなくしてしまったのかはわかないが、結局、それきりになってしまった。不幸なことは忘れようとしたのだろう。1週間ほどで、いつもの「イ・トイ」に戻っていた。

 そんことがあって、何日かが過ぎた頃、「イ・ティン」が子猫を、外に連れ出すようになり、「イ・トイ」は、それを見て、自分の産んだ子猫のことを思い出したのだろうか、「イ・ティン」親子に付きまとうようになった。「イ・ティン」親子が、ねぐらに入ると、わずか1mほどしか離れていないところにじっと座って、羨ましいそうに見つめていた。
 " 私にも、子育てさせてちょうだい "とでも言わんばかり。いや、実際に、何回も、懇願したのかもしれない。
 はじめのうちは迷惑がっていた「イ・ティン」も、1週間ほどそんなことを続けているうちに、とうとう、一緒に、共同で子育てをすることにしたようだ。
 それからは、乳の出る「イ・トイ」は、自分の乳を飲ませるなど、実の親以上に献身的に子育てに励んだ。いつの間にか、子猫たちは、「イ・トイ」の子のようになってしまい、外を出歩くときにも、「イ・トイ」のあとをついて歩いた。「イ・ティン」の子ではなく、「イ・トイ」の子のようだった。
 猫の世界では、先に生まれて、まだ母親から独立していない子猫が、母親と一緒に子育てをするということは聞いたことがあるが、「イ・ティン」と「イ・トイ」のようなケースは聞いたことがなかった。
 これがきっかけだったのか、このころから「イ・ティン」は、自分の産んだ子猫の面倒は見なくなってしまい、次なる子作りのため、出歩き留守にすることが多くなった。

 「イ・トイ」の育てた子猫4匹は、「ティンリー(雄)」、「ティンロー(のちにファー・雌)」、「リュウ(雄)」、「トラ(雄)」と名づけられが、「トラ」の思わぬ事故のため、「リュウ」と「トラ」は、子猫時代に、家の方に越してきた。
 「ティンリー」も「ファー」も、大きくなった7月頃、「イ・ティン」は、2回目の出産をした。
 このころから、また子猫を取られてしまうのではと思ったのか、「イティン」は、「イ・トイ」を追い払うようになり、チャムトーンの小屋には、「イ・トイ」の居場所はなくなってしまった。
 どこで毎日を過ごしていたのかはわからないが、最初のうちは、食事の時間には、どこかからやってきて食事が済むとすぐに姿をくらましていた。
 2日に1回、3日に1回、1週間に1回といった具合に、だんだん現れる頻度が減り、とうとう、2ヶ月近くほど姿を見ることがなかった。
 今までの猫にもよくあったことなので、どこかで野垂れ死にしたにちがいないと、あきらめていたところ、ある日ひょっこり姿を現し、以後は、1週間に1回くらいは出てくるようになった。

 そんな姿を見ていて、あまりに可哀想で、かみさんの提案で、家につれて帰ることにした。今年(2007年)の1月中ごろのことである。
 臆病で、人間があまり好きではないように見えた「イ・トイ」からは想像もできなかったことだが、「イ・トイ」は、普通のありふれた猫ではないことに気がつかされた。われわれ夫婦との折り合いもよく、人間相手にだけ話しかけてきた。

 猫のなき声にしては、やや低音で、あれこれ言っているのだが、「イ・トイ」の猫語は半分ほども理解できなかった。今までに、「イ・トイ」ほど、人間に話しかける猫はいなかった。

 かみさんには、よく甘えて、毎晩、添い寝をしていた。
 寒い時期のことだったが、寒さには慣れているためか、ほかの猫たちのように、布団の中にもぐりこむことはなかった。枕もとの掛け布団の上で、時には、かみさんの首に巻きつくようにして眠っていることもあったが、かみさんは、寝苦しさのため、夢うつつに払いのけられたりしても、そばを離れることはなかった。

 人間に頼りきっていた「イ・トイ」は、ほかの猫たちとの折り合いは悪かった。ほかの猫たちとも、早く慣れてくれないと困るなと、ずっと心配していた。子猫なら、1ヶ月位すれば、なかまに入れてもらえるののだが、「イ・トイ」は、最後の最後まで、ほかの猫たちと打ち解けることはなかった。
 われわれがそばにいないときなどには、ベランダの手すりの上で、チャムトーンの方角をながめて、じっと長いこと座り込んでいたりすることもあり、戻してやろうかと迷ったこともあったが、チャムトーンが「イ・トイ」にとって住み心地のいい場所ではないことはわかっていたので、決心がつかなかった。
 今にして思えば、あの時、帰してやっていれば、死なさずにすんだかもしれないと、少々後悔しているが、あとの祭りである。

 実は、「イ・トイ」の命取りとなった病気は、電子顕微鏡で見ると、太陽のコロナのような形をしているので、「コロナ・ウイルス」と名づけられた厄介なウイルスが原因の「ネコ伝染性腹膜炎(FIP)」という病気らしい。「シン」の命を奪っていったのも、同じコロナ・ウイルスのようだが、田舎のおっさん、おばさんに病名など教えたところでどうにもならないということか、獣医は病名など詳しいことは何も話してくれなかった。こんなときは、たいてい難しい病気で、助かる可能性はあまりないようである。
 気の優しい「サンタット獣医(男性)」は、よほどのことがない限り、助かる確率が低いなどということは、決して言わない。
 獣医からのインフォームド・コンセプトはなかったものの、インターネットや『猫の飼い方の本』などで調べたところ、このウイルスが原因に間違いなさそうである。

 「コロナ・ウイルス」というのは、極くふつうに見られるウイルスらしいが、宿主の生活環境が急に変わったりなど、大きなストレスが持続すると、「突然変異」を起こして腹膜炎などの重病を発症させるらしい。現在のところ、ワクチンもウイルス退治の薬もないのだそうで、対処療法でインターフェロンなどが使われるくらいのものらしい。北タイの田舎の獣医は、インターフェロンなど持ち合わせてはいないし、その必要もないようである。人間さまの病気でさえ、最近になってようやく、少しは使うようになったばかりで、北タイの命の値段からして、一般には高価すぎて滅多なことでは、つまり、患者の家族が金持ちで、その強い要望でもない限り、大病院でも使わないようである。
 この「コロナ・ウイルス」、普段は、宿主との折り合いもそこそこで、命まで奪うということはないらしいが、宿主の異常を察知すると、どうにでもなれという気持ちになるのか、狂気にはしって、自殺行為におよぶようである。
 突然変異を起こし狂った、このコロナ・ウイルスは、血液の流れにのって、あちこちの血管を破壊していき、破壊された血管の場所によって症状もさまざまらしい。矛をおさめず、狂い続けていくうちに、宿主は多臓器疾患におちいり、宿主ともども命を落とすことになるらしい。
 そこまでは行かず、危ない危ないと、わが身大切さに気づいた賢いウイルスの場合は、適当なところで悪さをしなくなり、宿主の容態も徐々に回復することになるのだそうだ。「ミン」のケースや、腹水がたまって、今にも危なかった「ミム」のケースなど、我が家の猫には、生き延びたものもいるようである。何回かの下痢で、かなり痩せはするが、何とか収まっているものもいる。多分、このウイルスが原因なのであろう。

 インフルエンザ・ウイルスのような、一度感染すると体内に抗体ができて、2度と同じウイルスには感染しないものと、エイズ・ウイルスなどのように、有効な抗体のできないウイルスとがあるらしいが、厄介なことにこのウイルスも、有効な抗体のできないものであるらしい。このウイルスに手加減してもらい助かったとしても、このウイルスは体内のどこかにひっそりとひそんでいて、いつまた発症するかわからない厄介なウイルスだそうである。

 「シン」の場合は、老齢ということもあって、戦いに敗れ、「イ・トイ」の場合は、ほかの猫とは比較にならないほどのストレスが、命取りになったようである。
 のんびり型の猫だったら、死亡するほどの重症にはならなかったと思うが、やはり、「イ・トイ」は、普通の猫ではなかった。大人になってからの生活環境の激変もあったにせよ、我が家の猫族の中でも、ひときわデリケートな性格だったようである。
 水と「グルコース」だけで、半月近くも生きながらえた。信じられないほどの生命力で、これだけで、十分奇跡的なことだったが、飼い主としては、勝手なもので、毎日毎日、逆転サヨナラ満塁ホームランを期待していた。われわれ夫婦は、この間ずっと地獄の責め苦にさいなまれていた。それも、逝ってしまった今では、引き戻すことはできないとわかってしまえば、気持ちはずいぶん楽になる。
 「イ・トイ」にとっても、われわれにとっても苦痛の時間は終わり、”それにしても、お互いよくがんばったね”と言い聞かせてやりたい。無駄なこととは承知の上のことだが・・・。

 「イ・トイ」の異変に気がついたのは、3月の初旬で、その後の看病などについては、勝手ながら、当時の日記をご覧いただけると有難いです。
 年中、こんなストレスをうけながら、また、老化が進んでしまい、あちらの世界への道のりも、そう遠くはなくなってしまったような気がしている。

写真は、死ぬ5日前、3月9日に撮ったものです。


(追記) 
 インターネットなどで調べたところ、この病気は、犬や人間には感染しないということらしいが、自分の経験から判断するると、人間にも感染するようである。ただ、犬や人間の場合は、このウイルスにやりたい放題のことはさせることはなく、症状が重篤にはならないようではある。
 かみさんも小生も、なんとなく、猫の病気をもらってしまったようなときが、何回かあった。もしかすると、今現在も、このウイルスが体内でゴチャゴチャ何かしでかしているように思われるときがあるが、暑さだけが原因の体調ということではなさそうである。
                                   (2007年3月16日記す)

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「ミム」です。

最近のミム
 お父さんは、「ミム」と呼びますが、おかあさんが呼ぶときには、「ミン」と聞こえます。
 我が家で、私だけが「カラス猫」ですが、この「濡れ羽色」、実は紫外線に大変弱く、油断していると、赤茶けてきてしまい、男前が台無しになってしまいます。
 私は、争いごとが大嫌いで、多分、我が家のなかま内で、喧嘩をしないのは、私だけではないでしょうか。

 これから、お父さんに、いろいろありました、私の半生を紹介してもらうことにします。



初代イ・ノイ
 「ミムの母親」

 ミムの母親は、2002年、年が明けて間なしの頃、チャムトーンの養魚池の番小屋に置き去りにされておりました。ほかにも、猫が何匹かいて、ここなら、何とか面倒を見てもらえるのではないかと、元の飼い主に捨てられたようです。
 ここが新しい飼い主の家と、覚悟を決めていたのか、逃げ出したりもしないで、すり寄ってきました。
しかたがないので、「ノイ」と名前をつけて飼うことになりました。

 「ノイ」というのは、「小さい」という意味ですが、メス猫なので、通称は「イ・ノイ」です。
姪の「ノイ」と同じ名前ですが、人間の呼び名と区別するために、声調をちょっと変えて呼ぶようにしておりました。姪を呼ぶときは、平板に「ノイ」と呼ぶのですが、「イ・ノイ」の場合は、「ノ」をやや高調子にして呼びました。

 「イ・ノイ」は、その年の暑い盛りに、子猫を数匹産みました。 そのうちの1匹が、「ミム」です。ほかの兄弟姉妹たちは、近所などに里子に出されていきましたが、次々と先立ってしまって、今も生きながらえているのは、「ミム」1匹だけです。
 子育ての上手だった母親の「イ・ノイ」も、子育てが終わって、一段落した頃、行方不明になってしまい、残されている写真は、2枚だけです。
 現在、2代目の「イ・ノイ」がおりますが、血のつながりはありません。

 「ミム」
  「ミム(มิม)」というのは、小生の聴き間違えで、「ミン(มิน)」が正しく、真っ黒な「釜の煤」という意味らしいです。
 「イ・ノイ」の産んだ子猫のうちでは、もっとも発育の悪かった末っ子の「ミム」は、健康に育ってくれるか心配で、どこにも里子に出されず、家に残る事になりました。

子猫時代のミム

この写真は、その後の「ミム」の半生を象徴するような気がして、大判を掲載しました。ETのようですね。2002年7月、生後2ヶ月ころに撮ったものです。
 発育不良で、「おにぎり」形の顔は、美形ではありませんが、「醜いアヒルの子」のような感じがしないでもありません。角膜が十分成長していない、この目がとても素敵で、お気に入りの写真です。

元気な子猫になったミム その後、「ミム」は、心配していたほどのこともなく成長し、オス猫であるため、避妊手術を受けることになりました。
 (右の写真は、手術を受ける前、「三角おにぎり」から、2ヶ月ほどあとにとったものです。)

 避妊手術から回復して程ない頃から、「ミム」が本領を発揮し始めました。
 ほかのメス猫が産んだ子猫たちに、授乳を始めたのです。

 子猫をあやすのが大好きで、メス猫に生まれればよかったと思っていたのかもしれません。
 まだ出産経験のない若いメス猫や、不慮の事故などで子猫を失った親猫が、ほかの猫の子を育てることは、ままあることなのですが、「ミム」は、オス猫です。
 離乳期を過ぎた子猫は、まだオッパイが欲しいと思っても、母猫に邪険にされることが多いもので、母親がダメならと、当たりかまわず乳首を探しまわったのでしょうが、嫌がりもせず、というか、嬉々としてミルクの出ないオッパイを吸わせている姿を見て、感激してしまいました。猫とのかかわりは長いのですが、こんなオス猫は、あとにも先にも、「ミム」だけです。


( 続く )


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「ミム」  (続き)

 その後は、日々、大して変わったこともなくすごしてきた「ミム」ですが、2003年のソンクラーン(タイ新年)の直前、4月10日に家出し、13日にいったん戻ってきたのですが、15日に再び行方不明になったまま、2ヶ月半もどこかを放浪していたようです。
2003年の日記から、その頃の、「ミム」についての記事を、抜粋してみました。


2003年
4月10日(木)
  ミム、行方不明。朝から、姿が見えない。
4月11日(金)
  ミム、やっぱり、戻ってこない。
4月12日(土)
  ミムはまだ帰ってこない。
4月13日(日)
  とても、うれしいニュース。ミムが戻ってきた。
 4日ぶりに戻ってきた。これも、土地神様のおかげか。そんなにやつれた様子もなく。

(このあと、日記が中断しているが、4月15日から、また姿が見えなくなる。
1ヶ月ほどたったころから、「ミム」は、どこかでのたれ死にしたものとあきらめて、「ミム」のことは、考えないことにした。あとにも先にも、「ミム」のように行方不明になったまま、帰って来ない猫は、何匹もいた。)
 
7月1日(火)
  とてもうれしいニュース。
  ミムが、2ヶ月半ぶりに戻ってきた。
  チャムトーンで、気分が悪くなり、バイクで家に送ってもらう途中、
  500mほど来た路上で、黒い猫が、ゴミ回収車が落としていったゴミ袋をあさっていた。
  運転していた姪が見つけて、「あれは、うちの猫だよ、きっと、尻尾が曲がっているもの」というので、バイクを止めてもらい、名を呼ぶと、覚えていたらしく、甘えた声で、すり寄ってきた。
抱きあげて確認するまでもなく、「ミム」だった。
  気分が悪いのも忘れて、とって返し、ペット・フードを与える。

  空腹のあまり、一気に呑みこむものだから、少し食べては、吐き出す。
 それにしても、随分とやつれて、「烏の濡れ羽色」だった毛は、赤茶け、痩せて骨と皮だけになってしまっていた。
  行方がわからなくなってからの「ミム」が出会ったであろう艱難辛苦をあれこれ推察し、たまらない気持ちになった。
  どこか遠くへ誘拐されたにちがいないが、なつくまもなく、逃げ出して来たにちがいない。
  良くぞ戻ってきた。ほんとに生きていてくれてよかった。ありがとう。
  早く体力を回復して、元気になってほしい。

  このところ、悪い話ばかりで、みんないやな思いをしていたが、ほんとに、うれしいことだ。
7月2日(水)
  ミムいくらか元気になる。
7月3日(木)
  ミム少しよくなる。
7月4日(金)
  ミム、すっかりやせて、骨と皮だけみたいだが、元気は出てきた。よく寝る。それがいい。
7月6日(日)
  ミム、いくらか太ってきたかな。
  
戻ってきたミム


9月18日(木)
 ミムは、擦り寄ってきて甘える。走れるようになり、
  失踪から戻って以来、やっと、これでもとに戻った感じがする。

11月1日(土)
  ミム、またまた、チャムトーンを家出。すぐに見つかったが、家の方に連れ帰って飼うことに決定。
  後追いする癖がついたみたい。チャムトーンには、いろいろ、いにくい理由があるようだ。
 12月1日(月)
  子猫、2匹は、久しぶりにチャムトーン泊まり。
(具合が悪くて、一時的に、家の方で保護していた子猫)
  ミムの、家の玄関口で子猫を待つ姿がいじらしい。
 12月16日(火)
  ミムとゴロウにも、シンの風邪がうつったらしい。軽くすめばいいが。

  


 このあと、我が家の猫たちの間で、猫風邪が大流行。FVR(猫伝染性鼻気管炎Feline Viral Rhinotracheitis)という猫特有のウィルス性の風邪でした。
 沢山の猫を狭い空間で飼っているため、伝染するのを防ぎようがありません。
 チェンライに越してきてはじめて、しまいこんであった「電気カーペット」、壊れかかった「電気コタツ」を取り出してきて、寒がる猫のために使いました。
 それでも、どう見ても助かりそうもない猫が数匹いて、「ミム」もそのうちの1匹でした。
 無理やり餌を食べさせたり、注射器を使って水を飲ませたり、果ては、人間用の解熱剤「バッファリン」を、のどに押し込んだり、1ヶ月あまり猫たちの看病を続けましたが、 口惜しいことには、高齢の「ゴロー」だけは、助かりませんでした。「ゴロー」の死んだ25日から、「ミム」は少しづつだが餌を食べられるようになって、なんとか一命を取りとめることが出来ました。

 年が明けて、温かくなりだした頃から、「ミム」は、目に見えて太りだしたのですが、おなかだけが大きくなるようで、オス猫なのに、スワ妊娠などと勘違いさせられたりしました。さながら、「となりのトトロ」のような体形になってしまい、歩くのもつらそうでした。この頃の体重は、6kgを越しておりました。

 後になってわかったことですが、「ミム」は、FIP(ネコ伝染性腹膜炎)という、猫にとっては、致命的なウィルス疾患にもかかっていたことがわかりました。致死率が非常に高く、まず助かることはない病気らしいのですが、「ミム」は、この病気にも打ち負かされることはありませんでした。ずっとあとになってのことですが、「シン」と「イ・トイ」が、このFIPが原因で命を落とした、猫にとっては恐ろしい病気です。

 「ミム」の大きくなったお腹は、実は、腹腔内にたまった腹水が原因なのだそうで、「ウェット・タイプ」の「FIP」というのだそうですが、助かることは稀なことらしいです。長期の行方不明からの帰還といい、猫風邪といい、「ミム」は、強運の持ち主です。
 我が家には、沢山の猫がおりますが、「ミム」ほど波乱にとんだ半生を送ってきた猫はほかにはおりません。

 「FIP」で、おなかが大きくなって半年ほど経過した頃、マッサージをしてやることを思いついたのですが、そのかいあってか、膨れたお腹は、少しづつですがもとに戻りはじめました。それでも、たるんでしまったお腹の皮は、元には戻りませんでした。

 風邪をひいて鼻水の出る猫も、いつのまにか自分で鼻をかむことが出来るようになるものですが、「ミム」は、あれ以来、鼻水が出ないということがなく、鼻がふさがり気味で、自分では鼻くそをとることが出来ないため、鼻をかむことが出来ません。 「ミム」の鼻くそ掃除をするのが、毎日の日課になってしまいました。
 ついうっかり忘れていると、向こうから催促するようになりました。
 猫は、食べ物を食べるかどうか匂いで決めるので、鼻がつまっていると、何も食べることが出来ず、飢え死にしてしまい、これだけでも致命的ということが出来ます。

 長い、しかも度重なる看病をしてきたせいか、小生の姿を見つけると、必ず近寄ってきて、顔色をうかがい、顔を近づけると小生の口のあたりに鼻をすり寄せ、匂いをかぐようなしぐさをします。「ミム」の体調が悪いときは、鼻が臭いのですぐわかります。

 「ミム」は、おなかが膨れ始めた頃から、ヘルス・メーターで体重を量ることがたびたびあって、いまでも、風呂場の体重計の上が大好き(?)で、体重計に乗って昼寝をしているのをよく見かけます。もしかすると、体調がよくないことの意思表示なのかもしれませんが、特別なことでもないかぎり、見てみぬふりをしております。何しろ、「ミム」以外にも、我が家には、20匹以上の猫がいるため、「ミム」だけにかまけているわけにはいかないのです。
 こんな関係は、これからも、どちらかが、この世からいなくなるまで続くのでしょうが、出来るだけ長く続いて欲しいと思っております。

 (感想)
 「ミム」は、人間なら、さしずめ「苦労人」とでもいうのでしょうか、まれに見るほど大人しい猫です。決してほかの猫と諍いを起こすことはありませんし、食事どきでも、少しはなれたところで、目の前に差し出されるまで、じっと待っています。歯がゆいくらいの奥ゆかしさです。
 己の欲望を満たすためには、手段を選ばない人間どもに、爪の垢でも煎じて差し上げたいような気になります。もっとも、「ミム」以外の我が家の猫たちは、人間様並みなものが多いようですが・・・。
 「ミム」は、小生の姿を見つけると、よってきてなにやら「あいさつ」をしているようですが甘えているわけではないようです。抱かれることは嫌いですし、ほかの猫のように添い寝などすることも全くありません。大人しく、奥ゆかしくみえても、「誇り」は高い猫のようです。
 こんな「ミム」には、教えられることが多いような気がしております。
 


最近のミム

 これが、最近の私ですが、前の写真の頭と胴体の大きさを見比べていただけると、おなかポンポコポンのときとの、ちがいがおわかりになれるかもしれません。
 体調がいいとき、ベランダで昼寝をするため、自慢の黒毛が、少々赤茶けてしまいました。
 今は「プン」姉御に次ぐ、高齢ではありますが、何とか、あと5年くらいは生き続けたいと思って頑張っております。

 これからも、どうぞよろしく。



*   *   *   *   *   *   *   *   *   *


(追記 2011/12/25)
 昨深夜、「ミム」は、薬石効なく、逝ってしまいました。
 かれこれ10年に近い「ミム」とのお付き合いも終りました。
 前年の雨期の最中からの生死をさまよう医者通い、そして最後になった、今年の12月に入ってからの病状などは、すべて日記、「新・チェンライ便り」 に書き込んであります。「新・チェンライ便り」 を開いた後、最上段の「投稿内容」の黄色い「検索」フィールドの「ミム」と入力してクリックしていただければ、「ミム」に関する書き込みのすべてが、表示されると思います。

 ややこしいことに、チャムトーンには、もう1匹「ミム」が生きております。ですが、この「ミム」の代わりがつとまるということはありません。悲しいですが、 もうこの「ミム」とは、これでお別れです。 「生老病死」、生まれたものは何時かは死ぬのですから、しかたのないことです。諸行無常です。




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「サワート」、「ワート」とよばれています。

シャム猫
 「シャム猫」といえば、青い目をした写真のような猫のことらしいですが、タイでは、「メオ・タイ(แมวไทย)」といって、タイの猫はみんな「シャム猫」といってもいいくらいのものですよ。
 いろんな色の仲間がいて、白黒ブチの「シャム」だっているくらいなんです。
 こんな色の、この私(下の写真)とて、これで立派な「シャム猫」なんですから・・・。

最近のサワート
 タイでは、私のような毛色の「シャム猫」は、「(メオ・)シー・サワート(แมวสีสวาด)」と呼ばれております。

 「サワート(สวาด)」というのは、「マメ科」の植物の一種(Caesalpinia bonduc)の植物だそうです。
 毛色が、その種子の色に似ているため、そう呼ばれているのだそうです。
サワートの実 右の写真がその「サワート」の種子だそうです。
見たことありませんがね。
 たしかに、色はなんとなく似ているようですね。
日本語にすると「サワート色の猫」ということですか。


 バンコクなどでは、私たちの仲間「シー・サワート猫」のことを「メオ・タイ・コーラート(コーラート猫)」と呼んでいます。
 「コーラート(โคราช)」は、東北地方の「ナコンラーチャシマ」あたりのことですが、「コーラート」では、私たちの仲間は、「雨乞いの祀り」の主役だそうです。毛色が、「雨雲」に似ているかららしいですが、「幸運をもたらす猫」として、大事にされているらしいです。
 「メーカム」のこのあたりにも「雨乞いの祀り」はありますが、私たちの出番はないようです。

 これから、私の身の上話ですが、実は、私は、昨年(2006)の12月15日に、今のご主人に拾われました。ご主人の話だと、生後、3,4ヶ月後くらいだったらしいです。
 お母さんと一緒に、山のお寺の近くに捨てられたらしいのですが、いつのまにか、そのお母さんとも離れ離れになってしまい、ひとりで、水辺で魚を捕ろうとしていたときに、連れてこられました。
”あんた、一体何すんの”と、ちょっとムカッとしましたが、ずっと、ひもじい思いをしていたため、怖いとは思いませんでした。どうせ死ぬんだったら、どこで死んだって同じことだと、やけくそだったかもしれません。
 チャムトーンというところに連れて行かれましたが、ほかにも仲間の猫がいました。すぐに、ご飯にありつけ、これはもしかしたら、長生きできるかもしれないとは思って、お腹一杯食べてしまい、動けなくなってしまうほどでした。

拾われた日のサワート
 その頃のことは、12月16日、17日のご主人の日記にも書いてあるそうです。

 病気もちでもなさそうだし、ほかの猫との折り合いもよくないらしいということで、翌々日に、現在の家の方につれてこられました。


 びっくりしたのは、この家には、なんと、14匹もの先輩猫がいたことです。
それ以来、1ヶ月近くも、怖くて声も出せなかったほどでした。
 奥さんも、この猫、もしかして「フー・ヌアット(つんぼ)」ではと心配したらしいです。
 ご主人は、猫にも「自閉症」があるのかもしれないなんて、難しいことを言っていたようですが、『触らぬ神にたたりなし』で、じっとしている以外、いじめられない方法はないと思っておりました。やせ我慢しておりましたが、みんなに慣れるまでは、ほんとうに「地獄」でした。
 もちろん、そんな具合でしたから、ほかの先輩たちとジャレて遊ぶなどということは出来ませんし、ずっと一人ぼっちでした。
太ったサワート
 そのうち、いくらか慣れてきて、時々いじめられることはありますが、結構居心地がいいところだと言うことがわかりました。
 何しろ、ご飯どきになれば、ご飯の方からやってきてくれるなんて、夢のようです。タラフク食べて、運動もしないため、すっかり太ってしまい、「シャム猫」らしくなくなってしまい、「ダイエット」しないといけないと思っているくらいです。

 あれから、もう、半年以上になりました。
 煩わしい「ドラ猫」たちもたくさんいるのですが、できるだけ気にしないで、長生きしたいと思っております。
これからも、どうぞ、よろしく。

                (下へ続く)

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「サワート」 (続き)

ご主人の感想など
ガリガリのサワート
 昨年の12月中旬、チェンライとしては、かなり寒い朝のことでしたが、いつものように、チャムトーンからの帰り道で、かみさんが見つけ、わざわざ、あと戻りして拾い上げてきた猫です。
 我が家で面倒を見ている猫は、すでに20匹を越していて、もうこれ以上飼うことは無理だったのですが、痩せた小さな子猫が、川べりで魚を狙っている姿が不憫で、つれて帰ることにした猫です。
 そのときは、万一、問題があれば、餌をたらふく食べさせて、元気になったら放してやればいいくらいのつもりでした。

 つれて帰ってよく見ると、背中やわき腹などのあちこちには「やけど」のあとがあり、寒さをしのぐために、まだ火が残っている「焚き火」の灰の上で眠ったようでした。
 たかが、猫の子1匹とはいえ、どうしても生きたいという気持ちが伝わってきて、ジンときてしまいました。つれて帰ってきてよかったと思ったものでした。
 この「やけど」あとが、完全に消えたのは、それから3ヶ月ほど後のことでした。

 さすがに雑種で、光線の具合によっては、灰色の「トラ」模様がはっきり見えます。
下の写真は、最近の「サワート」ですが、フラッシュ撮影すると、縞模様がはっきり見えます。
縞模様の見えるサワート

 家に連れ帰ってからの「サワート」は、特別でした。
 わが家で、いま飼っている猫たちは、さまざまな事情があって、チャムトーンから越してきたものたちばかりです。
 親猫になってから越してきた猫は、先住の猫たちとの折り合いがつきにくいのですが、子猫の場合は、別です。長くても1週間ほどで、何とか慣れますが、「サワート」は、1ヶ月以上、ほかの猫とうち解ける事はありませんでした。
子猫だったら、餌時など、鳴くのが普通ですが、1ヶ月過ぎる頃まで、声ひとつ立てませんでした。しかも、はじめのうちは、ペレットのペットフーズしか食べませんでした。
 食べ終わると、ベランダの手すりの隅の方にじっと座って、空のかなたを眺めていることが多いようでした。
 猫にも、きっと「自閉症」というのがあるにちがいないと思いました。
人間の勝手で、連れてきてはいけなかったのかもしれないと、ちょっとばかり後悔したりもしました。
 そんな「サワート」でしたが、1ヶ月少し過ぎた頃から、鳴き声も聞かれるようになり、「自閉症」も回復しつつあるのかもしれないと思えるようになり、安堵したものでしたが、今度は、ほかの猫の「風邪」を移されてしまい、2回ほど獣医のお世話になってしまいました。一時は、危ないかなとも思える状態でしたが、幸い回復し、元気になっております。

 雑種とはいえ、「シャム」の血をひいていることは確かで、大変賢く、名前を覚えるのも早く、ほかの猫たちのようには、ベタベタと甘えてくることはありません。
 「シャム猫」というのは、一般には、甘えん坊な性格らしいのですが、「育ち」にもよるのか、甘えたそぶりや人間にへつらうなどということは、今のところはないようです。
 甘えたいと思っているらしいのですが、われわれが手を出すと、すっと身を引き、ゴロゴロ、のどを鳴らすなどという「さましい態度」はしないようです。気位が高いというのでしょうか。
 超然としていることが多く、遊びもひとり遊びしかしません。
 子猫時代に人間との接触がほとんどなかったのか、抱きあげられるのが大嫌いようです。
 それでも、放すと走って逃げるのですがすぐに、足元に擦り寄ってきます。
 また、幾分寒い感じの夜は、ほとんどの猫たちが、ベッドに上がりこんでくるのですが、ベッドの脇の足拭きマットのうえで眠ることはあっても、けっして、ベッドにはあがってきません。「不即不離」がいいようです。
 本当は、人間嫌いということではないようで、そのうち、慣れてくれば、性格も変わってくるかもしれませんが・・・。
 以下に「サワート」の近影を2枚。

タンスの上の仲間の猫に注目

うしろ姿のあでやかなサワート

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チェンライにも招き猫

【飼い主情報】

manekineko

 先だって、隣町の民間車検場で、こんな「招き猫」に出会いました。
チェンライの町のあちこちの店先でも「招き猫」が見られるようになったのは、この数年のことか思いますが、たいていは華人系の店先などですが、中国にも猫が福を招きよせるなどという言い伝えがあるんでしょうか。それとも、日本から入ってきたものなのでしょうか。猫が大判を持っているところを見ると、日本独自のものだったんでしょうね。
 街中では、時には、電動仕掛けで、腕をフリフリしている、忙しい「招き猫」もを見かけることもあります。
やっぱり、みんな、お金が欲しいんだ。
この猫のように、水がお供えしてあるのも珍しいですね。今や「招き猫」さん、「神様」に昇格したのかも。

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